裁判員制度(陪審制度)の沿革
裁判官が行ってきた刑事裁判に、一般市民が直接参加する裁判員制度がスタートしました。
我が国にも戦前には裁判員制度があった事を知っている若い方は少ないでしょう。
その歴史を振り返ってみます。
陪審裁判が開始されたのは昭和3年
●明治初期 岩倉具視等欧州使節団が陪審制度を学び、導入を今後の懸案とした
●明治43年 大逆事件(天皇暗殺を企てたとして、12名が死罪)を契機に立法化への動きが始まる
●大正12年 大正デモクラシー思想の広がりもあり陪審法成立
●昭和3年 大分で初めて陪審制による裁判実施
重大事件を対象とし、一定額以上の納税者で30歳以上の選ばれた男子12人の陪審員が有罪、無罪の結論を出し、裁判官に「答申」した。
●昭和18年 戦時色が強まり制度廃止
開始から15年間に484件、無罪率は17%であった。
●昭和38年~47年 返還まで沖縄で実施
●平成2年 日弁連が再びの導入を提案
●平成11年 司法制度審議会設置される
●平成16年 裁判員法成立、5年以内に施行
●平成21年5月 裁判員制度スタート
陪審制と参審制とは
欧米では古くから陪審制度が行われていますが、陪審制とは事件ごとに市民から選ばれた陪審員が有罪、無罪を決め、裁判官は量刑や法解釈を担当する方法で、イギリスやアメリカで採用されています。
参審制とは任期制で選ばれた参審員と裁判官がともに有罪、無罪を決め、量刑も判断する方法で、ドイツ、イタリア、フランス等で採用されています。
デンマークやノルウェーは両制度を併用しており、我が国の場合も両制度を折衷していると言えるでしょう。
市民革命を経験した欧米と異なり、我が国では国民の司法への参加は義務でもあり、権利でもあるという意識が根付くのにはしばらくかかるかもしれません。

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