日本における所得税と源泉徴収制度の起源
日本における所得税の導入はイギリスにならって行われ、明治20年(1887年)に導入され、課税の対象者はわずかな富裕層に限られておりました。
その後、幾度かの税制改正を経て昭和15年(1940年)の税制改正により勤労所得に対する源泉徴収制度を導入したときにはナチスドイツにならいました。
戦雲急のもとでの大衆課税と有償徴税事務
昭和15年、勤労所得の基礎控除を1,000円から720円に引き下げ、これにより課税対象者を飛躍的に増やし、同時に国の徴税事務の効率化を目的として勤労所得に対する源泉徴収制度を導人しました。
なお、源泉徴収義務者は国から徴税事務を委託された代行人と位置付けられ、納税者一人当たり当初10銭の徴税代行手数料の交付を受けることができました。
その後20銭になり、最終的には50銭になっています。
この交付金制度は昭和22年(1947年)に、申告納税制度と年末調整制度の導入に際して、廃止されました。
日本における年末調整制度の成立
戦前には勤労大衆課税としての源泉徴収制度はありましたが、納税額の精算の観念はなく、ナチスドイツではすでに採用していた雇用主(企業)が徴収税額の過不足を精算する年末調整制度を導入するには至っておりませんでした。
昭和22年(1947年)のGHQ軍政下での税制改正で、申告納税制度の採用に当って納税額の精算の観念が生ずると、年収5万円(同年に再改正があり8万円)以下の給与所得者に対しての税額精算は年末調整制度で済ませることにし、確定申告を省略させることにしました。
GHQもシャウプも年調嫌い
GHQはアメリカ流の民主的申告納税制度の例外となる年末調整制度の導入を渋っていたが、日本政府に押し切られたといわれており、1949年のシャウプ税制勧告では、年末調整事務は税務署にできるだけ速やかに移管すべきとしておりました。
年末調整対象外の給与所得者の人数割合は0.1%~1.2%の範囲内に収まって現在まで推移してきています。
すでに60年余の年末調整史が刻まれ、日本人の風土に合っているのか、国民の中に年調廃止の気運は高くありません。
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