「窓税」と「間口税」
中世のオランダには、窓の数を基準として税を課す窓税というものがありました。
16世紀に、これが間口税という税になっています。
一定の床面積の建築なら、間口が狭く奥行きが深いほど税額が低くなります。
間口税や窓税などは、外からの観察だけで簡単に税額を決定でき、それはまた「私有建築物の内部は、犯罪捜査の場合でないかぎり侵されることがない神聖なプライバシー空間」なので、徴税当局が建築物の中に立ち入らなくて済む課税方法がよいという国民的合意があったからとされています。
守秘義務のない会社の経理担当者に家族の内情をすべて開示することを義務付ける年末調整制度をもつわが国とは大違いです。
アンネの日記
このためオランダの家は、うなぎの寝床のように細長く、奥行きの深い構造になりました。外から見ただけでは家の内部構造が分かりません。
だから、建物の奥に秘密の隠れ部屋を作ることができました。
アンネの家族が隠れていたのはこうした建物の1 つで、彼女はそこで日記を書き綴りました。
いまでもオランダを訪れると、運河沿いにこうした建物が隙間無く立ち並んでいるさまを見ることができます。
他の国の場合
バルト3国にもイギリスにも同じ税がありました。
フランスは、革命後の1798年に固定資産税として導入しました。ただし、財産評価の手間を省くために、窓と戸口の数で課税する方式を採用しました。
シャンゼリゼや凱旋門近くの横丁に入ると立派な建物が広くない通りの両側に続いているものの、窓数が少なく、塗りつぶされた形跡の窓の跡があったりするようです。
窓税導入時の納税者の対抗策のなごりなのだそうです。
この税は、第一次大戦まで120年近く続きました。
わが国の場合
同じような税は、日本にもありました。
江戸時代、三代将軍家光によって店の間口の広さに応じて税金をかける「間口税」が導入された京都の事例がよく知られています。
また、田沼意次が町人に家の間口一間当たりで課税したことも、間口を狭くし奥行きが長い町家が各地にできた由来とされています。

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